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コラム西池
   
江戸川乱歩の家 

 西池袋には小説家、江戸川乱歩の住んでいた家がある。「怪人二十面相」や「少年探偵団」などの作品を世に送り出したミステリー作家の江戸川乱歩が昭和40年(1965年)に亡くなるまで住んでいた住宅だ。現在は立教大学が買取り、管理して公開もしている。それ以前は家の前を通っても江戸川乱歩という表札が掛かっている訳ではないので知らない人には分からないような普通の家だ。有名な集めた蔵書が詰まった2階建ての土蔵があるのだが道路からはほとんど目立たない。写真は公開日の門の写真である。
 この写真に有るように表札は平井太郎・平井隆太郎となっており、平井太郎が江戸川乱歩の本名である。平井隆太郎氏は乱歩のご長男で立教大学名誉教授、元総長も勤められたという話だ。この門柱は当時のままである。当時、この門柱に続く道路側の塀は大谷石で出来ており、庭が覗けなかったが現在は改修され立教大学と同じ鉄杭の塀に置き換わっている。従って当時を留めているの二人の名前が入った門柱ということになる。
 中に入ると庭の一番奥に2階建ての蔵が建っている。この中に江戸川乱歩が集めた蔵書が収められている。公開日には蔵書の詰まったこの蔵の中を見ることが出来るが入口のところに外部と遮断する透明の板があり、それ以上蔵の内部には入ることは出来ない。

 昔の江戸川乱歩邸の界隈について江戸川乱歩のお孫にあたる方が書かれた回想録がある。(*1)それによると
『そのころ、立教の敷地のうち、当家に隣接した部分にはほとんど建物はなかった。家の西側は新学院グラウンド(私は祖父からあそこには神学院があったから神学院グラウンドだと聞いていた。現在は立教池袋中高等学校)、東側は戦争で消失した池袋第五小学校だった空き地で、立教が焼け残ったプールを使用していた。そして南側は馬術部の馬場だった。我が家にもそして立教にも塀らしい塀の無かった時代だから、馬術部の馬小屋に遊びに行って藁を刻んでまぐさを作ったり、飼い葉桶にそれを入れたりさせてもらったことを覚えている。』

補足すると
江戸川乱歩邸は今では立教大学のキャンパスと接しているがその昔は立教大学と江戸川乱歩邸の間には左に折れ曲がった袋小路の私道があり、私道の奥に数軒の住居があった。この私道に面して立教の馬術部の馬場があり、馬が走っていた。
"神学院グラウンド"という名称は西池袋に古くから住まわれている方には懐かしい響きであろう。江戸川乱歩も当時、このように呼んでいたという話である。
江戸川乱歩が池袋に移ってきたのは1934年(昭和9年)という話であるから、池袋の主なのである。

*1 雑誌「立教」第187号に掲載。
(立教学院の"旧江戸川乱歩邸サイト"の"乱歩を語る"のページ参照)




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